2007年03月

続き

「いや、いいんだよ」
 朝倉は、さっきの自分を見透かされたような、ばつの悪さを感じた。だがゆかりは、男の生理には慣れているようだった。
 突然、ゆかりのバッグの中から、ピッピッピ―という音が聞こえた。携帯電話である。ゆかりは素早くそれを取り出し、通話ボタンを押した。そして耳に押し当てながら、
「ええ、わかっています。それは聞いておきますから…。あさっての会議ですか? それについては、いったん会社に戻ってから資料を準備しますので、充分、間に合うと思いますが…」 
 と言って切るや否や、再び朝倉のほうへ向き直った。

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 ゆかりの瞳が、一瞬キラリと輝いたようにみえた。好きなことをして生きたいと思うのは、朝倉も同じだった。だが、その難しさを朝倉は知っていた。
 不意にゆかりは調子を変えて、
「寄るところがあってそれが済んでから伺います。お昼頃になるかと思いますが、よろしくお願いします」
 と言った。ペコリと頭を下げた拍子に、脇にかかえていたバインダ―の紐が外れてテキストやノ―ト類が道路に散乱した。ゆかりは、慌てて拾い上げようとした。
 その時、中腰になったゆかりの背中から腰の辺りにかけての、はっきりとした身体の線が浮き彫りになった。一つ一つ落としたものを拾い上げる度に、長い髪が顔におおいかぶさる。それをかき上げるようにする仕草が、息を呑むほど艶っぽかった。
(いい身体をしている)
 朝倉は、じっとその様子を見ていた。ゆかりは、その視線に男を感じたらしく、さらりとかわそうとした。
「すいません。こんなところで時間取らせてしまって…」

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「私、仕事の合い間に、ある作詞塾に通っているんです。詩を書いていると、何となく生きているなあ―って気持ちになるんです。そういうのって大切ですよね」
「ふ―ん」
 朝倉にも、人生の生きる意味を真剣に考えた頃があった。だが、今は考えることよりも生きなければならなかった。ゆかりは、朝倉の生返事に当てが外れたようだった。それでもゆかりは、一旦は呑み込んだ言葉を朝倉にぶつけた。
「毎日、会社に行って、時には同僚と飲みに行き、何も考えなければ人生なんてあっという間でしょう、虚しいですよね。どうせなら好きなことがしたいんです。幸い、この東京にはないものはないですからね」


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「ふ―ん」
「大丈夫ですよ、ちゃんとメンテしてますし…」
 向きになっているゆかりに朝倉は、戸惑い気味だった。
「会社にある分析機器は、皆、そうだというのですか」
「わかりません、それ以上詳しいことは…」
 ゆかりは、言葉を濁した。いや、彼女の目は、他のことを考えているようにみえた。朝倉もそんなことはどうでもよかった。
「メ―カ―は、いいね。一台売れれば、それだけ売り上げも大きいから…」
「そんな簡単にはいきませんよ」
 ゆかりは、声を出して笑った。朝倉もその言葉に釣り込まれるように笑ったが、急にゆかりの存在を身近に感じた。このままもっと話していたい。その気配がゆかりにも伝わったらしく、ゆかりは朝倉の方を見ながら、一歩踏み込むようにして言った。


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「すると、今の仕事を選んだキッカケは?」
 朝倉は興味が湧いた。
「給料がいいんです。他と比べて二万円ぐらいですけど…大きいですよ」
 ゆかりは八重歯を見せて笑った。はじめてゆかりの顔が綻んだような気がした。
(二万円か、確かに大きい)
「会社としての知名度はありますし、それに会社が大きいということは働いていて安心感があります。でも逆に、それゆえにメンツみたいなところがありますね」
「どういう?」
「メ―カ―としては、他社が出している製品で、うちが出していないっていうのは困るんです。やはり品揃えとして必要ですから、まったくの赤字でも開発して販売しちゃうんです。今度の分析機器もそうです。全部にマイクロプロセッサ―が組み込まれていて、心臓部のIC回路は東芝や富士通で作りますが、その他の大したことない部分、例えば入出力回路などは韓国製なんです。そのほうがコストが安いですからね。まあ、さらに安くしようと思えばマレ―シア製とか…」


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 化粧も控え目だが、気の強そうな印象を受ける。そうだね、と朝倉も相槌を打ちながら、ゆかりが店員をやり込めている姿を想像した。きりっと結んだ唇、そこからどんな言葉が飛び出したのか。
(お客さんあっての商売か)
 だが朝倉は、人に頭を下げる仕事は嫌いだった。
「私、人と接するのが好きなんです。家が商売やってるとかそんなんじゃないんですけど、賑やかなのが好きだから、とても田舎じゃ暮らせないです。だから東京に出てきたんですけど…」
 それは朝倉も同じだった。田舎のように静かな所はいいが、あまり刺激のない所には暮らせなかった。


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 橘ゆかりは、はきはきと答えた。ゆかりは、分析機器の製造・販売の大手である紀井電子株式会社に勤務し、営業を担当していた。在社歴が長いということで、最近では新人研修も任されているようだった。
 金色のネックレスをした黒いセ―タ―の上に、ウ―ル地の明るいグレ―のス―ツを着ている。三十歳ぐらいだろうか、歳のわりに若く見える。
 ゆかりは、首を傾げ豊かな黒髪を手で後ろに振りはらうと、声をひそめて言った。
「さっき、そこのレジで計算ミスがあったんです。私もぼぉ―としていたのがいけなかったんですけど、外へ出てから気づいたんです。お客さんあっての商売なんだから、もっと注意してもらいたいですよね」


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 次の日の朝、朝倉は、八時ちょっと過ぎに家を出た。会社までは、約四十分ぐらいである。フレックス・タイムになってからは、多くの社員が九時を過ぎてから出社するようになったが、朝倉は、相変わらず九時頃出社していた。神田駅の近くのコンビニエンス・ストアで昼の弁当を買い、店を出てドラッグ・ストアの前を歩いていた時である。
「あら、おはようございます。こんなところで珍しいですねぇ」 
 橘ゆかりが、横から声をかけた。
「君のほうこそ。今日は、またどんな?」
「今度新しい製品が発売になるので、そのパンフレットを持って来たんです」

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「いえ、どうしてですか?」
「何故、あなたがあの近くにおられたのかと思いまして…」
「久保田さんに用事があったんです」
「なるほど。で? どんな用事だったんです?」
「仕事の打ち合わせです。今日はまだ一度も顔を合わせていなかったものですから」
 間垣刑事は頷くと、コ―トの襟を立てて玄関のドアを押した。風は止んだようだった。暗闇の中に、こうこうと輝く《救急外来》の文字がくっきりと浮かび、やがて二人の姿は見えなくなった。

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「いえ、今も申し上げたように、参考程度ですから…」
 朝倉は、目を伏せた。果たして、昭和工業のことを話していいものかどうか。 
「さあ? 特にそういうようなことは、なかったと思いますけど」
「そうですか」
 間垣刑事は、肩を落とした。そして、
「いろいろと参考になりました。ありがとう」
 と言うと、踵を返した。辺りは、し―んと静まり返り、二人の乾いた靴音だけが廊下に響く。オレンジ色の柱のところまで歩いた時、不意に、間垣刑事が振り返り、
「ところであなたは、事故現場の近くにお住まいなんですか?」
 と訊ねた。


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「何を話していたか、わかりませんか?」
 間垣刑事は、一歩身を乗り出すようにして訊ねた。朝倉は、肩をすくめながら、
「それが…よく覚えてないんです。そんな様子でしたから、気にもとめなかったんです」
 間垣刑事は、深く考え込むような面持ちになると、ポケットからタバコを取り出してライタ―をつけ、深々と一服吸ってから、煙をふうっと朝倉に吹きつけた。
「これからお尋ねすることは、参考までにということでお願いします。被害者は、誰かに恨まれていたとか、あるいは、最近、特に何か変わったようなことはありませんでしたか?」
「どういう意味ですか?」
 朝倉は、眉と眉の間に深い皺を寄せた。

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 若いほうの刑事は手帳から目を離すと、そのまま考え込んでしまった。今度は、間垣刑事がその先を引き取って、
「で、他に目撃されたようなことはありませんか。あるいは、気がつかれたこととか、どんな小さなことでも結構ですが…」
「そうですねぇ」
 朝倉は、ちょっと考えながら、
「ああ、そういえば野次馬の一人が『俺は、見たんだ』とか言って騒いでいました」
「俺は、見た…ですか」 
「ええ、僕が久保田さんを抱き起こしている時でした。何だかバカでかい声がするので、ふと見ると、その男が野次馬と何か話していました。結構、親しそうでしたから、すぐに顔見知りだと思ったんですが、それが…全く相手にされていないんです。男は、相当酒を飲んでいたとみえて、足許がフラフラでしたからね。だから酔っ払いの戯言ぐらいにしか、思われなかったんじゃないですか」


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「仕事上のことです」
 と答えた。間垣刑事は、険しい顔をしたが、再び若いほうの男が訊ねた。
「よほど大事なことだったとみえますな」
「……」
「その時被害者は、事故について何か言っていましたか? 例えば、他の車を避けようとして電柱にぶつかったとか、何かを目撃したとか…」
「はあ」
「隠さないで言って下さい」
「別に隠すつもりはありませんが、ちょっと自信がないんです。実は…本当かどうかわかりませんが、蝶が飛んでいたって言ったんです」
「蝶って、まさか、あの蝶ですか。こんな季節に? 聞き間違いじゃないんですか」
「ええ、僕もそう思って聞き直したんですが、確かにそう言いました。その後、すぐに意識が失くなったので、それ以上は…」
「ふむ」

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「会社の同僚なんです」
「ほ―。で、会社はどちらにあるんですか?」
 朝倉の顔に、神田警察署での事が浮かんだ。聞かれる内容や立場は全く違うのに、何だか憂鬱な気分になった。
「あなたが駆け寄った時は、まだ意識があったわけですね。これも目撃者の話なんですが、あなたは必死に被害者に声をかけておられた。何を聞こうとしていたんですか」
「それは…」
 朝倉は、口ごもった。
「そんなに難しく考える必要はどこにもないんですよ。一応、これも仕事なもんですから…」
 話を切り出せない朝倉に救いを出すように間垣刑事が言った。朝倉は、ちょっと考えるような目つきをしながら、

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「いえ、詳しくはわかりませんが、近所に住む人だと思います」
 すると今度は、間垣刑事の傍に突っ立っていた若いほうの男が訊ねた。
「直接、事故を目撃されたわけですね」
「いえ、大きな音が聞こえたので駆けて行ったら、すでに車は電柱に激突していたんです」
「現場での目撃者の話によると、被害者とは顔見知りのようですが、どういう関係ですか?」
 四十歳にまもなく手が届きそうな髪の短いその男は、手帳を広げながらペンを走らせている。


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「いえ、詳しくはわかりませんが、近所に住む人だと思います」
 すると今度は、間垣刑事の傍に突っ立っていた若いほうの男が訊ねた。
「直接、事故を目撃されたわけですね」
「いえ、大きな音が聞こえたので駆けて行ったら、すでに車は電柱に激突していたんです」
「現場での目撃者の話によると、被害者とは顔見知りのようですが、どういう関係ですか?」
 四十歳にまもなく手が届きそうな髪の短いその男は、手帳を広げながらペンを走らせている。


続き

 不意にドアのノブの回転する音がしたので顔を上げると、コ―トを着た男がドアの傍に立ち、後ろにいるもう一人の男に声をかけながら、ゆっくりドアを押して入ってきた。その時、冷たい空気を一杯にはらんだ風が、口笛のような音を立てて舞った。二人の男は、コ―トを着たまま廊下を足早に歩き、オレンジ色の柱を右に曲がって消えたかと思うと、すぐに戻って来て今度は朝倉のほうに近づいてきた。
 六十歳にはまだ間がありそうな肩幅の広い男の後ろから、眼鏡をかけた体格のいい若い男がついてくる。年配の男は、低い声で言った。


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 ニノ・セルッティの製品で、幾何学模様をあしらった落ち着いた感じの濃いグリ―ン系統のネクタイに、赤や緑の細い糸を織り込んだ、グレ―のス―ツがコ―トからのぞいている。
 朝倉は、一瞬、刑事ということを忘れるほどだった。まもなく男が、
「救急車を呼んだのは、あなたですか?」
 と言った。朝倉は、首を横に振った。

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 不意にドアのノブの回転する音がしたので顔を上げると、コ―トを着た男がドアの傍に立ち、後ろにいるもう一人の男に声をかけながら、ゆっくりドアを押して入ってきた。その時、冷たい空気を一杯にはらんだ風が、口笛のような音を立てて舞った。二人の男は、コ―トを着たまま廊下を足早に歩き、オレンジ色の柱を右に曲がって消えたかと思うと、すぐに戻って来て今度は朝倉のほうに近づいてきた。
 六十歳にはまだ間がありそうな肩幅の広い男の後ろから、眼鏡をかけた体格のいい若い男がついてくる。年配の男は、低い声で言った。
「失礼ですが、御家族の方ですか?」
「いえ」
 朝倉は、怪訝そうな顔で男を見た。
「これは、失礼。板橋署の間垣といいますが…」
 男は黒い手帳をポケットから覗かせると、鋭い視線を朝倉に向けた。背が高く、面長で物腰の柔らかそうな男だったが、服装には目を見張るものがあった。


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 蝶が飛んでいた、とはどういうことだろうか。いや、本当に蝶なのだろうか。俺の早合点ではないだろうか。チョウには鳥もあれば、鯛と書いてチョウと読むことを何かで見たことがある。しかし鯛ならば、それをわざわざチョウとは言わないだろう。では鳥はどうか。それだってチョウとは言わず、トリと言うはずである。そう考えると、やはり昆虫類の蝶しか考えられない。

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                   *
                   *
 まもなく救急車のサイレンが聞こえ、朝倉は同乗した。彼が救急車に乗ったのは、今回で二度目だった。初めて乗ったのは、自分の部下である会社の女子社員が仕事中に気分が悪くなって倒れた時のことだった。やがて救急車は、日大板橋病院に着いた。すぐに手術室に運ばれ、家族に連絡が取られた。それが済むと、急に静かになった。患者との面会時間は、とうに終わり、外は深い闇に包まれ、廊下には必要な明かりだけが所々に灯り、曖昧な影を作っている。朝倉は廊下の突き当たりに備えられた長椅子に腰を落としながら、深く考え込んでいた。


続き

「今日は、何を聞かれたんですか。警察は、何を言ってきたんですか」         と、久保田の上着をつかみながら、必死に話しかけた。細かい雨が、次第に久保田の頬を濡らし始める。その時久保田は、薄く眼を開けた。しかし、そのどろんとした眼に朝倉の姿が見えているのかどうか、わからなかった。久保田の口許が微かに動き、朝倉は、すぐさま自分の耳を久保田の口の辺りに近づけた。久保田は、何度も唇を湿らせながら、呻くように言った。
「蝶が…」
「蝶? 蝶がどうかしたんですか?」
 久保田は、左手を宙に泳がせながら朝倉の袖を掴むと、
「蝶が飛んでいた」
 と言った。
――こんな真冬に蝶が飛んでいるはずがない――
 朝倉が再度尋ねると、久保田の腕は、濡れたダウン・ジャケットの袖を滑り落ちて、だらんと伸びきり、すでに意識がなかった。


続き

「蝶が…」
「蝶? 蝶がどうかしたんですか?」
 久保田は、左手を宙に泳がせながら朝倉の袖を掴むと、
「蝶が飛んでいた」
 と言った。
――こんな真冬に蝶が飛んでいるはずがない――
 朝倉が再度尋ねると、久保田の腕は、濡れたダウン・ジャケットの袖を滑り落ちて、だらんと伸びきり、すでに意識がなかった。

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「今日は、何を聞かれたんですか。警察は、何を言ってきたんですか」         と、久保田の上着をつかみながら、必死に話しかけた。細かい雨が、次第に久保田の頬を濡らし始める。その時久保田は、薄く眼を開けた。しかし、そのどろんとした眼に朝倉の姿が見えているのかどうか、わからなかった。久保田の口許が微かに動き、朝倉は、すぐさま自分の耳を久保田の口の辺りに近づけた。久保田は、何度も唇を湿らせながら、呻くように言った。

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 久保田伸幸じゃないか! 朝倉は、すぐに久保田を抱き起こして名前を呼んだ。
「久保田さん! しっかりしてください!」
 胸元からは、血が流れ出している。朝倉は、久保田の首筋に手を当ててみた。まだ、脈がある。
「どうしてこんなことに…」
「うっ…」
 その時朝倉の脳裏を言い知れぬ不安が襲った。もし、このまま久保田が死ぬようなことにでもなったら…。とっさに朝倉は、

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 何だろう。朝倉は、音のした方向に急いで駆けていった。近づくにつれて、次第に野次馬の数も増えていく。まもなく広い道路に出ると、乗用車が電柱に突っ込んで、左のヘッドライトからラジエ―タ―グリルにかけての部分が押し潰されているのが目にとまった。
 さらに近づいてみると、ドア・ミラ―は吹っ飛び、フロントガラスには、くもの巣状のヒビが入っている。そして右側のドアの側には、人がうつ伏せになって倒れている。暗くて色はわからなかったが、ス―ツ姿の、体型から見て明らかに男だった。やっと目が暗闇にも慣れ、右側のヘッドライトの微かな明かりを頼りにその男の横顔を見た瞬間、朝倉は、思わず息を呑んだ。

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 2

 道は、カ―ブを描きながら、左に伸びている。その先には、道路工事の標識がぼんやりと見える。街灯の明かりが点々と続き、家々は、生け垣に囲まれてひっそりと静まり返っていた。しばらく歩くと、突然、キィ―というけたたましい音とともにド―ンという重い音が前方の道路の左のほうから聞こえた。            


続き

「そんなことして、一体、何になるんですか?」         
 朝倉の思いつめたような表情に、小菅は目をしばたたかせた。 
「まあ、落ち着けよ。まず言えることは、会社の人間の仕業じゃないってことだ。会社に不利になるようなことは、たとえ知っていても言わないものだよ。偶に内部告発という形で公になることもあるが、結果的には社員の損失につながるだけだと俺は思う。いずれにしろ、これから久保田君の家へ行くんだろ」
 朝倉は、首を縦に振った。                 
「だったら、もう店を出よう」                
「ええ、でも…」                      
「俺はいい。疲れも取れたし…。それに君を見ていると、ゆっくりコ―ヒ―なんて気分じゃなさそうだし…。この時間なら、彼も家に帰っている頃だろう」           小菅は、カウンタ―の正面の壁にかかっている小さな角形の電気時計に目を向けながら言った。金色の文字盤が九時五十四分を示していた。二人は席を立ち、ドアを開けて外に出ると、地下の駐車場に通じる坂の辺りで別れた。

続き

「小菅さんのほうこそ、会社で何かあったような顔をしていますよ。どうしたんですか?」「いや―、別に大したことじゃないよ。それより、どうだったんだ?」       
「実は、事情を聞かれたのが取調室だったんです。誰だってそんな所で聞かれたら、冷静じゃいられませんよ」          
「それは穏やかじゃないな」            
「空いている部室がないからって言われて…。怪しいと思いませんか」     
「君はあのサンプリングで、何かヘマでもやったのかい?」
「いえ…。それよりも僕がわからないのは、何故、今頃になって警察に呼ばれなくちゃいけないのか、ということです。昭和工業の測定は、もう五ヶ月も前のことですよ」   「それは…、誰かがタレこんだんだろうな。目的はわからないが」

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