2007年08月

死者の結婚式

彼の評価は、間違いなく下がるだろう。朝倉は、無関心を装っていた。その気持ちを見透かしたように北村は、
「ふん、朝倉君はいいね、いつも何もなくて…。一緒に雪谷まで行ってくれ」
 と言った。
「君、運転してくれないか?」
 松原に向かって横柄に言うと、そそくさと部屋から出て行った。朝倉は、舌打ちした。その時、寺井の気持ちがわかるような気がした。
 表に出ると、外は薄暗く、低い雲が垂れこめている。俯きながら駐車場のほうに向かっていると、
「あら、先程はどうも。おでかけですか?」
 不意に朝倉の背後で、若い女の声がした。振り向いた朝倉の目に、橘ゆかりの明るい笑顔が写った。
「ええ、雪谷までね」
「お一人?」
「北村さんと一緒なんだ」
 朝倉は、苦笑した。
「そう、困ったわね。北村さんに用事があったんですけど…、すぐ終わりますか?」
 ゆかりは、朝倉の反応をうかがうようにした。
「う―ん、どうかな。ちょっとトラブルだから…」
 朝倉は、焦点の定まらない視線を宙に浮かべた。
「それって、まさか自動測定?」
 と言ってゆかりは、朝倉の顔をのぞき込んだ。
「ええ、知ってるんですか。僕は、直接の担当じゃないから詳しいことはわからないけど…」
 朝倉は、どうして知っているのだ、という表情をした。
「その機械は、うちが入れたんです。だから…」
「そうなんですかあ」
 朝倉は、ふ―んという顔をした。
「羽田と嶺町は違いますが、雪谷は、当時、いろんなメ―カ―が参入しようとして受注するのも大変でしたから、よく覚えています。NOx計とCO計とオキシダント計を入れたのです。で、原因は?」
 一瞬、ゆかりの表情が固くなったような気がした。
「おそらく操作上の単純なミスじゃないの。トラブルなんて、そのほとんどが人為的なミスさ。ただ、さっき妙なFAXがあってね。それで焦ってるってわけさ。何かって? 大気汚染監視システムを破壊したっていうんだよ」
「嘘でしょう、どうやってそんなことができるっていうの? テレメ―タ―は、何も雪谷だけじゃなく、羽田や嶺町にもあるのよ。それにSOx計や浮遊粉塵計もあって、どのテレメ―タ―かもわからないし、それぞれ独立して動いているので、全ての機能が停止するっていうのは、おかしいわ」
「北村さんもいたずらに決まっている、と言って、そのFAXをすぐに捨ててしまったん





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死者の結婚式

――大気汚染監視システムは、破壊した。まもなく全ての機能が停止するだろう――

(え、一体、どういうことなのだ)
 朝倉は、驚いて北村の表情をうかがった。だが北村は、目をしばたたかせながら、
(おい、刑事のいる前でそんな顔するなよ。変に思われるじゃないか)
 とたしなめた。朝倉は、はっとして目を床に落とした。その時、北村はあっさりした調子で、
「何でもない、ただのいたずらさ」
 と言って、FAXをゴミ箱に捨てた。それを見ていた刑事は、
「いろいろとお忙しそうなので、今日のところはこれで失礼して、改めてまたうかがいます」
 と言って、退室した。北村は、それを見届けると、急いで電話を会議室に回してもらった。
「早瀬は、今、巡回してるんだと思います。北村ですけど、何があったのですか?」
「彼は、今どこに?」
 担当者の板倉の声である。
「この時間だと、雪谷にいると思いますが…」
「連絡は取れますか?」
「ええ」
 北村は、受話器を手で押さえると朝倉に、
「悪いけど、早瀬君を呼び出してくれんか。ここにいると思うから…」
 と言って、メモを渡した。だが、早瀬はいなかった。
「申し訳ないです。今、向かっているらしいんです。道路が混んでいて、もう少し時間がかかるみたいです」
「前は、いつごろ巡回しました?」
「今週の月曜日です。業務契約でもそうなっているはずです」
「ええ、それは。実は、表示が0になったままなんです。朝、見た時は、何ともなかったんだけど、さっき気がついたんです。いつ頃からそうなっていたのかわからないんだけど、原因は何ですか?」
「見てみないとわかりませんが、スパン調整がうまくいってなかったか、それともその時、校正モ―ドから測定モ―ドにスイッチを切り換えるのを忘れたのか、いずれにしろすぐ見に行きます」
「今はまだいいが、これからの季節はオキシダントとの絡みもあるから、注意してくれないと…」
「申し訳ないです」
 北村は、パ―マのかかった髪をかき上げるようにしながら、受話器に向かって頭を下げていた。
 さすがの皮肉屋も、役人には頭が上がらないらしい。いい気味だと朝倉は思った。自分には関係ない。早瀬は、どこで油を売っているか知らないが、トラブルの内容次第では、

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死者は眠らない 続編

 間垣は軽く頭を下げると、手帳に目を走らせた。この刑事は、よくメモを取っているが、職業柄というよりは、性格のようだった。 
 不意に朝倉は、刑事と目が合う。だが、朝倉は、さりげなく視線を外した。鋭い目つきで、刑事に睨まれるほど嫌なものはない。間垣は、ちょっと前に出されてぬるくなったお茶を一息に飲み干すと、今度は早瀬のことについて訊ね始めた。
 早瀬涼一は、三十四歳、新卒でこの会社に入り、主にICP発光分析や原子吸光分析などの機器分析に携わってきた。最近では、蛍光X線分析やGC―MS等にも手を広げ、機器分析のエキスパ―トになりつつある。
 性格は穏やかで、忙しい時でもあまりイライラせず、他の分析員からの急な仕事にもてきぱきと応じていた。要領が良く、分析のセンスも抜群だった。会社の行事には積極的に参加し、人当たりは良く、後輩の面倒もよく見ていた。
 数年前、久保田がこの会社に転職し、早瀬の上司になっても特に変わったことはなかった。早瀬は、後輩が寮に引っ越すと聞けばそれを手伝ってやったり、野球のメンバ―が足りないんだが…、と言われれば、快く引き受けていた。
 久保田がワンル―ム・マンションの購入を考えていたのは、ちょうどその頃である。早瀬は、少しでも参考になれば、と知り合いの不動産屋を訪ね、軽い気持ちで紹介した物件が久保田の気に入るところとなり、大いに株を上げたのだった。
 ところが、半年後、近くで河川の改修工事があり、その影響で地盤沈下が起こり、久保田の購入したマンションの資産価値が下がり始めた。早瀬のせいではなかったにもかかわらず、以来久保田は、それを根に持つようになった。
 ある時、原子力発電所から出る水の分析の仕事で、後輩が体調を崩し代わりに早瀬が新潟まで出かけて行ったのだが、慣れない仕事ゆえに久保田に応援を頼んだところ、いろいろ理由をつけて断られたことがあった。
 そうして溝は、益々深まっていったのだった。間垣は、手帳のペ―ジを繰ると、
「早瀬さんはどちらですか」
「あいにく、まだ来てないんです」
 朝倉が答えた。
「じゃ―、どなたでも結構ですから、早瀬さんが、昨夜、立ち寄ったと思われるところをご存じの方はいませんか?」
 そう言うと間垣は、灰皿にタバコの灰をたたき落とした。再び重苦しい空気が、室内を包み込む。
 突然、会議室のノブがカチリと鳴った。先程の女事務員が狼狽しながら北村の傍まで近づき、
「お話中、すいません。たった今、大田区役所から電話があって、窒素酸化物計の数字が異常を示しているんですって…。早瀬さんいないかって言うんですけど…」
「え、どういうこと?」
 皆の視線が、一斉に北村に集まった。
「それに、こんなものがFAXで送られてきたんです」
 そう言いながら事務員は、それを北村に渡した。他の社員の目がそのFAXにいき、朝倉ものぞき込んだ。ワ―プロで書かれた最初の二・三行が目に止まる。


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死者は眠らない 続編

「その言葉に間違いありませんか。これは、被害者が倒れていた傍に落ちていたものです。昨晩、あなたは、どちらにいらっしゃいましたか?」
「今度は僕のアリバイですか、いいですとも。二日前、親戚に不幸がありましてね。叔父が肝不全で亡くなったのです。お通夜は、昨晩の七時から八時までだったのですが、そのあとずっと酒を飲んでいました。歳が、六十五歳とまだ若かったものですから、その早い死を惜しむ気持ちや、故人の人柄を偲ぶ言葉が参列者のあちこちから聞かれました。私も叔父の家に行くのは久しぶりだったもんですから、ついでと言っちゃ何ですが、近況などを話しておりました。時計を見たわけじゃないので詳しくはわかりませんが、帰ったのは、十時をちょっと過ぎていたと思います」
「ボタンが取れていたことに気づいたのはいつ頃ですか?」
「それが…よく覚えていないんです。二日前には全部ついていることを確認したんですがね」
「ほ―、それは何故ですか?」
「改めてつけ直したからです。それが取れるなんて全く考えもしませんから驚いています」
「するとお通夜に限らず、その日の朝もついていたかどうかは覚えていないということですね」
「ええ…」
「で、そのお通夜の場所というのは?」
「西が丘です。ちょっと交通に不便なところで、埼京線の十条からも行けないことはないですが、都営三田線の本蓮沼からが一番近いと思います。刑事さん、まさか僕がちょっとそこを抜け出して、事故現場まで急いで行き、すぐにまたその足で舞い戻ったなどと考えているんじゃないでしょうねぇ」
「はあ―、西が丘から事故現場までは、環七通りを飛ばせばすぐですからね」
 北村は、顔をしかめた。
「あいにく僕には、動機がありませんよ」   
「動機ねぇ。あなたは、被害者が邪魔だったんじゃないんですか? 被害者が死ねば、好きな女性との間に障害はなくなる。そう考えたんじゃないんですか」
 間垣の目がキラリと光った。北村の顔色が、みるみる変わっていく。
「刑事さんはおもしろい人ですね。そういう考え方もあるのかと、今、気がつきましたよ。しかし、僕には全く見に覚えのないことです」
 北村は、きっぱりと言った。
「あなたは、時々、被害者と言い争いをされていましたね。それも女性問題が原因ですか?」
「え? 何のことですか」
「被害者の血液から、かなりのアルコ―ルが検出されたのです。日頃、めったに酒を口にしなかった被害者が、その日に限って何故それほどまでに酒を飲んだのか。あるいは、飲まざるを得なかったわけでもあったのか」
「そんなことまで知りませんよ」
「すると、会社を出てからの被害者の行き先などは、ご存じないということですね」
「ええ」
「そうですか」


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死者は眠らない 続き

難しさについて話していたのですが、その時はそれで終わったんです。それからしばらくして、突然、都の計量検定所か東京経済産業局に本当のことをバラしてもいいんだが…、と言って迫ってきたのです。初めは、彼の言っていることがよくわかりませんでしたが、そのうちに、これはヤバイと思いました。恐らく、彼は昔の会社にでも行って私の過去を調べ上げたのでしょう。どうしてそんなことをしたのか、理由は全くわかりませんがね」
 小菅は、目を宙に据えながら、そこで言葉を切った。
「で、具体的にはどういうことなんです?」
「どうしても言わなければなりませんか。そうですか、無理のようですね」
 小菅は、仕方がないといった表情で、
「刑事さんは、水の自浄作用という言葉をご存じですか? 河川などの場合、汚れた物質があっても、それは時間の経過とともに分解していくんです。そこには微生物の働きが大きいのですが、それを利用して逆に溶存酸素の変化を見れば、水の汚れ具合がわかります。それがBODと呼ばれている測定なんですが、この測定の難しさは、希釈倍率をどのくらいにするか、にあります。ただ溶存酸素の変化を見ればいいというのであれば、そんなことを考える必要はないのですが、四十パ―セントから七十パ―セントの酸素が消費された段階が最もデ―タとして信頼できるので、それに合わせて希釈倍率を決めてやる必要があるんです。大体の見当は、CODを分析して決めるのですが、相手が微生物ゆえに単純にいかない場合があります。あとは、経験によるカンに頼るほかありません。溶存酸素は、硫酸マンガンと反応して水酸化マンガンの沈殿を作るので、それを分析してやればいいのですが、一番問題なのは、希釈倍率の決め方を失敗してその沈殿ができなかった場合です」
 と言った。続けて
「こうなったら、もうやり直しがききません。何故なら、BODは五日後の溶存酸素を測って決めるという約束事ですから、その間にサンプル試料は変化しますし、正しいデ―タがもはや得られないのです。希釈倍率を何段階にもすればいいのですが、分析しなければならないサンプルは多く、時間的にも無理ですので、数字を適当に捏造するしかありません」
「被害者は、それをネタにゆすってきたわけですね」
 間垣は、新しいタバコに火をつけた。
「まさか、私を疑っているんじゃないでしょうねぇ。そりゃ―、動機はあるかもしれませんが、その時間、私は、朝倉君と一緒でしたし…。それは刑事さん達もご存じのはずです」
 間垣は、顎の先で小さく頷いた。
「今度は違うことをお訊ねします。このボタンなんですが、見覚えはありませんか? 縫製関係の人によれば、一目見てこれは男ものとわかるそうですが、大きさからいってコ―トか、あるいはカ―ディガンのようなカジュアルっぽい服についていたと思われるのですが…」
「さあ? 少なくとも私が持っている服の中で、こんな色のボタンはないですね。私は、冬でも白っぽいものを着ますので、そうすると、大体、ボタンの色は黒が多いんです」
 その時、北村が、自分のではないか、と言って身を乗り出した。北村は、布切れに包まれた直径二・五センチほどの茶色のボタンを見ながら、
「間違いないです。自分のコ―トのボタンです。どこで、これを?」


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死者は眠らない 続き

と北村は、朝倉のほうを振り返った。            
「その刑事さんの言われるとおりです。昨日十時ちょっと前に小菅さんと別れてから、久保田さんの家に向かって歩いていたんです」                  
 朝倉は、ちらっと小菅のほうを見た。
「じゃ―、この紙切れだって、何か知っていることがあるんじゃないのかい?」 
「それが、全く気がつかなかったんです」
「しようがないなあ。相変わらず機転が利かないんだから…」
 また、北村の皮肉が始まった。二人のやりとりを見ていた間垣は、ふうっと煙を吐き出すと小菅のほうを向いて言った。
「実は、被害者の自宅から預金通帳が見つかりましてね。その通帳の表に『蝶』と書かれていたものですから、これは何か関係があるのかもしれない、と思って調べてみたんです。すると頻繁ではないですが、時々被害者宛にまとまった金が振り込まれていたことがわかったのです。ほとんどはどこかの会社のようでしたが、その中に夏木という個人の名前があり、それが妙に気になりましてね。何しろ個人で振り込まれていたのは、この夏木という人物だけで、しかも二回にわたって振り込まれていましたからね。そこで小菅さんにお尋ねしますが、この夏木という名前に心当たりはないですか?」 
 一瞬、小菅は、ぎくっとしたようだった。
「どうして私がそんなことを知ってなきゃならないんです。それに、彼がどんな生活をしようと私には関係ないことですよ」
「我々の調べでは、この夏木という名前は、小菅さん、あなただと踏んでいるんですがね、違いますか?」 
 間垣は、くわえ煙草のまま、ぐいと顔を近づけた。
「何か証拠でもあるんですか?」
「そうですか、わかりました」
 間垣は、小さく溜め息を吐いたかと思うと、灰皿にタバコを押しつけながら言った。
「あなたは、今年の七月九日と七月十日の二回、第一勧業銀行日本橋支店の窓口から、夏木健二という名前で被害者宛に金を振り込んでおられますね。これは、その時の振込用紙のコピ―です。文字のはねの角度や方向、そして長さ、筆の運ばれ方などを充分に調べた結果、あなたの筆跡に間違いないことがわかったんです。被害者の周辺を調べていたら、同じ会社の早瀬涼一さんとは、非常に仲が悪かったということがわかりましてね。それで会社関係の人をいろいろ当たっていたら、あなたのことが浮かび上がったというわけなんです」
 二人の刑事は、眉ひとつ動かさずに小菅を見ていた。小菅は、狼狽した。
「そ、それは、借りた金を返したまでです」
「偽名を使ってまでするようなこととは思えませんがねぇ。何か他に理由があったんじゃありませんか?」
 相変わらず刑事は、小菅を見据えている。長い沈黙の後、小菅は諦めたように口を開いた。
「実は、久保田君に脅されていたのです。私は、この会社に来る前は、微生物研究所で同じように水の分析をやっていました。ある時、久保田君とBODの話になり、その測定の

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